恩師を探せ!!
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持ち物検査みたいのがあって、ハンカチと爪の長さを定規を持った先生が席の順番に見回ってくる。爪の長いコは、容赦無く定規で両手を叩かれた。ボクは、だらしのないほうのハナタレ坊主だったので、爪は随分伸びていた。そこで、ハナタレ坊主のボクは、工作用に持っていたハサミを使い、先生が回ってくる前に、右手に持ったハサミで左手の爪を切ることが出来た。
ところが、利き腕ではない左手で右手の爪を切ることはできず先生が回ってきた。先生は、両手を見て、ニヤリと笑い定規で、「時間切れだな」と言って爪の伸びた右手だけを叩いた。いまは、体罰だの何だのでそんなことをする先生はいないだろう。でも、そん出来事でボクはますます先生に好感をもてた。
仲の良かったクラスの友達と夏には休日に隣町の市民プールに行く計画を立て先生を誘うと、OKしてくれてつきあってくれた。厳しいところもあったけど、生徒思いの先生だった。赤ちゃんが生まれてボクたちは、お祝いとして、50円ずつ出しあい、街のおもちゃ屋かざみで買ったおもちゃを持って先生の家に遊びに行ったりもした。動き出したおもちゃを見て赤ちゃんが大泣きだったのでボクらはちょっと計算違いだった結果に顔を見合わせた。奥さんの手作りの食事をごちそうなったのだが、ボクは出されたとろろ昆布の汁をこぼしてしまった苦い記憶しか残ってなく、何を食べたか覚えていないのが残念だ。
4年生になると、国府田先生は、水戸の茨城大学付属小学校に転勤になりクラスが替えで仲のよい友達ともバラバラになった。そこで、先生との思い出は終わった。
30年以上経過した現在、ふとその頃のことを思い出しGoogleで、国府田克彦と検索すると1つの検索結果にめぐり会えた。検索した結果は、茨城教育委員会の中の県内の学校と校長先生の氏名が記されていた。残念ながらファイルは、01年のものだったが、そこには東海村の村松小学校校長に国府田克彦の名前があった。エクセルのファイルを見て感動してうるうるきてしまったのは、初めてのことだった。
校長先生にまでなったんだね。コウダせんせい。おめでとう。
ボクの中では、若いコウダせんせいのイメージで止まっている。
そこから先を調べるのはちょっと勇気が要るのでもう少し時間が経ってからにしようと思う。
その前に、仲の良かったノボル・マサノリ・セイジュに連絡してみなければ。